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2006年1月29日 (日)

ピンク映画トキワ荘の青春 その1

いまおか 最初説明した方がいいと思うんで。僕が95年の30歳の時に監督デビューしたんですけど、丁度その頃高円寺で女性の人と同棲を3年ぐらいしてたんですが、ちょっと問題があって追い出されて、獅子プロダクションという当時所属していた会社の倉庫に住むようになったんです。それで坂本(監督)が、小岩に住んでいたんですが「一緒に住むよ」ということになりまして、全くその頃お金がなかったんで二人で新宿の部屋を借りて住み始めたんですが、何故かそこに住むところがなくなった大西(裕・助監督)や(伊藤)一平(助監督)だとかが転がり込んできて、(同じアパートにピンクの監督・助監督が住むという)そういう状況になったということなんですが。

坂本 僕が一番最初に会った助監督っていまおかさんだったんですね。面接っていうか、その時は監督は瀬々さんだったんですけど。で、僕はいまおかさんと5年ぐらい一緒に住んでいたんですが。裕くんは…大西くんは専門学校の同級生で、僕の方が在学中から助監督してたんで、僕の後輩になるんですが、なんとなくピンクやらないかということで誘ったと思う。伊藤くんは何でピンク来たんだっけ?

伊藤 104で。というのは「映画秘宝」という雑誌で、「監督になるための方法」というインタビューで、いまおか・坂本両カントクの二人が載っていたんですが、確か坂本さんが、国映…映画を作っている事務所なんですけど、電話番号を104で調べてやってきたというのが書いてあったんです。それで同じことやったんですけど。

坂本 コレってピンクの監督をすると、家賃が払えなくなるっていう系譜なの?キミは家賃が払えなくなってうちらのとこに来るようになんだんだよね。

伊藤 そうですね。今、4万9千円のとこに住んでるんですけど、大西さんと折半ではらってます。

坂本 ま、今は僕らは住んでないんですけど。

いまおか 卒業したんですけどね。

坂本 僕も2年ぐらい前に卒業した。

いまおか 大西はなんで住むようになったの?

大西 いやあ、なんとなくというか…家賃を2年分ぐらい滞納しまして。なんか素晴らしい楽園があるという噂を聞いて参入しました。

坂本 高田馬場に住んでいて・・。

大西 家賃1万5千円・・・。

坂本 1万5千円のところを20万近く滞納してた。もうダメだから来いって言ったなあ、そういえば。

いまおか そんなにしてまでピンクの助監督って…普通に働けばいいじゃん。

大西 ピンクの助監督もそんなにやってなかった…。働いてなかった…。

坂本 裕くんがこん中で一番なまけものだからな。…みんな、いまおかさんの助監督やったことあるんだよね。僕もチーフ、やってるなあ。裕くんも、いまおか組・・。

大西 ありますよ。いまおかさんのでピンク映画に行ったっていうか、(いまおかさんに)吸い寄せられたんじゃないのかな。

いまおか ありがとうございます(笑)助監督の時って、何でしんどかったのかって思うと、やっぱり何のためにやってるかというと、監督にいつかなるだろうと思ってやっていて、人を仕切ったりとか、何時に人集めるとか苦手だったんですよ。それでもやれたのは、そういう日々の中でホン(脚本)書いたりとかっていう監督になろうという作業をしながら、そういう段取りとかもしなくちゃならなくて、気持ち的に落ち着かないって言うか、しんどかったんですけど。そんな時に一緒につうか、同じしんどい所にいる奴が近くにいるっていうのは、別に相談なんかしないんだけど、そこでなんとなくやめるってとこに行かなかった。1人で生活してたらダメだったかもしれないって、今ちょっと思うところがあるんだよ。

坂本 いや僕ね、本当にいまおかさんと一緒に住んでたり、いまおかさんが先輩だったことに感謝してる部分があって。僕らの先輩、瀬々さんとかは既に監督だったんですよね、僕が入った時には。いまおかさんがその時助監督で、僕が助監督をして1年目ぐらいに、監督デビューしたことで、監督になれるというリアリティを持てたんですよね。いまおかさんは、一緒に住んでて、読書家だったし、自分でシナリオとかも書いてる姿を見てたんで、そういう所を真似したところは僕はあったんすけどね。

つづく

(2006/1/22 ポレポレ東中野にて)

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